1999年 極私的坂東三十三札所巡り(2)

 引き続き、夏休みに入ってから、完訪するまでを書いていく。


8月2日
青春18きっぷ使用
 夏休みに入った。これからは青春18きっぷを使い、ホリデーパスでは行けなかった遠くを回っていく。とは言ってもまずはホリデーでも行ける埼玉県の寺へ。
 南船橋から武蔵野線でぐるーっと武蔵浦和まで行き、埼京・川越線で高麗川まで行き八高線で明覚まで行った。そこから都幾川村村営バスに乗車。田舎なのでバスの便はどうなのか不安であったが、かえって列車の本数が少ない土地のほうが列車に合わせてバスを運行するので接続が良い傾向があるようだ。15分ほど乗ってから、軽い山道を35分ほど歩いて 九番 慈光寺 へたどり着いた。
 この寺は、坂東三十三札所の中で、浅草寺と並んで私が最も気にいった寺である。山の中ののどかな寺であった。入っても、誰もいない。売り物のお守りや朱印帳も並んでいるというのに。盗む人などいないという、まさに性善説か。奥に入っていって、住居として使用している部分まで行き呼んでようやく住職がいらっしゃった。朱印を頂いたのだが、それだけではなく、観音菩薩の解説(この寺は三十三札所の中で三か所だけの千手観音)や、親の心遣い気遣いを解いたありがたい法話も聞くことができた。非常に良い感じの寺であった。
 バスで明覚へ戻る。列車までしばし時間があった。駅前の雰囲気も大変のどかで気にいった。八高線で小川町へ出て、東武東上線で高坂へ。 十番 正法寺 は、かつてはなかなか大変だったようだが、今は近くにニュータウンと大学ができたため、10分ほどおきにバスが出ていて、バス停から徒歩2分で行けた。便利である。
 東上線で一駅戻り東松山へ。列車の本数も周辺のJR線とは比べ物にならないほど多く大変進みやすい。しかし、次に乗るバスは本数が少なかった。とは言っても一時間も待たなかったので良い方なのではあるが。鴻巣駅行きのバスで15分進み、下車後30分ほど歩いて 十一番 安楽寺 へ。その日は例によって大変暑かった。アスファルトの舗装道路だったのでさらに暑く感じてきつかった。
 バス停に戻り、来た時の次の便で鴻巣駅へ出て、高崎線経由で帰った。


8月6日
 十八番と十七番は、東武日光線沿線にある。JRでも行けないところではないのだが、日光線と両毛線で、続けては回りにくい。従って、東武で行くことにした。
 まずは終点東武日光駅からバス45分、下車徒歩15分の 十八番 中禅寺 を目指す。東武野田線で船橋から出発。自動券売機の上の料金表の最も端っこまでの切符を購入した。柏で乗り継ぎ春日部へ。ここからは日光線の快速である。ボックスシート車であり、平日だったので席は確保でき、まあ快適であった。途中、板倉東洋大前に停車するのは疑問である。なぜあの程度の駅に停める必要があるのだろう。
 東武日光駅からは山の上までバスである。いろは坂を通り、中禅寺温泉まで行くバスで、路線バスだが多分に観光的性質を持ち合わせている。従って結構料金も高いのだが、またも時間の都合で、着いたら30分ちょっとで出るバスですぐ帰らなくてはいけない。すぐに引き返すのである。さすがにこの時はちょっと勿体ない気はした。中禅寺は、どちらかというとすぐそばの中禅寺湖の方が有名である。中の解説をしてくれたのはよかったが、対応はちょっと冷たい商業的感触がした

 バスで再び東武日光駅へ。快速で栃木まで戻る。 十七番 満願寺 は、栃木駅からバス45分、下車徒歩5分と、一見楽である。私もその日は、殆ど交通機関に乗ってるだけで、時間と金はかかるが楽な日のつもりだった。だが、ここで大変な事が起きた。
 寺へのバスは一日わずか三本。着いたのは午後2時ちょっと前だったのだが、もうすでに二本は行ってしまって、残りは3時半頃の最終便のみ。それに乗ったとしても着いてすぐ帰りの最終便となるため、寺まで行く余裕はない。途方に暮れた。だがしかし、途中まで同じ道を進み、寺より6kmほど前で分岐するバスが2時半過ぎにある。
 突然だが、私の歩く速度は標準的な人よりかなり早い。1kmを10分で歩いてしまう。今回この旅行記では、たびたび「徒歩○分」という表記が出てくるが、手元のガイドブックを見ながら思い出しているので、実際にはそれより早く着いたことが結構あった。事実、この日の中禅寺も、徒歩15分とあっても10分程で着いたから、中の説明を聞く余裕があったのだ。1km10分で歩けば、6kmなら一時間で行けるはず。ならばなんとかぎりぎりで寺へ行けるだろう。今日はまだ体力もある。結論は出た。
 かくして、バスで30分ほど行って降りて、暑い中行進が始まった。最初は順調に見えた。しかしすぐに大変な目に遭うことになった。なんと付近一帯は石灰岩の鉱山だったのだ。で、広い道の途中にはいくつもの工場があり、輸送のためのトラックがひっきりなしに道を行き交う。そこを歩いて突破する人なんて滅多にいるはずもなく、歩道は未整備。非常に危険である。また当然排ガスも私を襲う。工場からも変な煙が出ており、タオルを口に当てて歩いた。やっとの思いで工場地帯を抜け、しばらく静かな道を歩き、寺にたどり着く。こんなところにも集落は存在している。生活に自動車は不可欠であろう。満願寺は、こうゆう立地条件もあってか、泊まりがけで来る人が多いようで坂東では珍しく立派な宿泊施設を持っている。企業の研修場所として使われていたりもするようだった。
 無事お参りを済ませて、貴重なバスで戻る。さっき苦労した道を一気に走り抜けていくのは壮快であった。駅まで45分、なんと終点まで私以外誰も乗ってこなかった。駅に近付くと結構人家も多いのに。バスの本数の少ないのも納得せざるを得なかった。東武の快速で一気に浅草まで戻り、都営浅草線から京成へ出て帰った。


8月9日
青春18きっぷ使用
 いよいよ坂東三十三札所で最も難所とされるところである。
 今回行く、 二十一番 日輪寺 は、水群線常陸大子駅からバス1時間、下車徒歩2時間という大変な場所にあり、日帰りではぎりぎりで、バスの本数によっては帰ってこれない事態もあり得ると言う不安を持っての出発であった。
 とりあえず常陸大子まで出来る限り早く行った。水戸からはキハ110系。すでに八高線でも乗ったが、JR東日本にしては非常に良い車両だ。
 常陸大子駅に降り立った。と、すぐそこに、お目当てのバスが。乗り込んだらまもなく出発した。ここも、明覚駅同様に列車に合わせてバスが出ていたのだった。帰りのバスも調度良いあんばいに出ていたので、一安心。
 終点からいよいよ徒歩。本格的な山道である。困ったことに、登山用の歩道でなく、車道である。車道は歩きにくい。舗装されている路面は固いし、勾配を緩くすべくジグザグにして距離を長くしているのである。私はそれよりは急な階段を一気に登るようなほうが好きである。苦労して登っていたが、4分の3ほど進んだところで嬉しいことに徒歩用の登山道が分岐していた。当然そっちへ行く。土の道で歩きやすく、かけるような速さで進み、一気に寺までたどり着いた。見ると、やっぱり歩くのが早いため1時間ちょっとで着いていた。寺にお参りし朱印をいただき、しばし休む。もうしばらく登ると山頂まで行けるのだが、そんな気力はなく下山した。
 しばらくバスを待ち、駅へ戻った。接続がうまく出来ていたので、予定よりかなり早く帰ることができたのだった。とりあえず最難関は無事行くことができ、段々とゴールが見えてきたような気分であった。


8月11日
青春18きっぷ使用
 最大の難所も終り、あとは気楽に進める。とは言ってもまだ遠くにいくつか残っている。いい加減に常磐線も乗り飽きてきたのだがその方面のラストで再び行った。いつも通り武蔵野線から常磐緩行、中電と乗り継ぎ水戸へ。前回同様水郡線に乗車。ただし今日は途中で分岐して常陸太田へ行った。駅から30分ほど歩いて 二十二番 佐竹寺 へ着くはずだったのだが、見事に道を間違えて、かなり遠回りになってしまった。しかし歩く速度が速かったので40分ほどで着き、さほど影響はなかった。
 常陸太田から水戸まで戻った。2両編成の気動車はかなり込んでいた。途中までの電化、本数増を考えても良いのではなかろうか。もっとも、前回の常陸大子からの帰りの列車はガラガラであり、波があるというのはわかっているのだが。
 常磐線で友部まで行って水戸線に乗り笠間へ。駅からバス9分下車徒歩5分の 二十三番 観世音寺 が目的地である。実は笠間には、ある理由から今年の元旦にも来ていた。もう多分行くこともないだろうと思っていたのだが、まさか同じ年のうちにもう一度来るとは予想外であった。とは言っても元旦の時は全然違う場所へ行っており、この寺はもちろん初めて。中へ入ったらお茶を出していただいた。しばらくそこでゆっくりしていたのだが、一緒に部屋にいた小さなグループが、ここで札所巡りを終了したらしく朱印を集めた掛け軸の装丁の申込の話を住職とし始めたので、いずらくなって出た。
 すぐ近くに笠間稲荷もあったのでお参りして、駅へ戻り常磐線に出て帰った。


8月12日
青春18きっぷ使用
 残りは七か所、今回は北の方の最後である。前と同様に武蔵野線から京浜東北線、高崎線と乗り継ぎ高崎駅へ行った。今日はここを起点に二か所回る。
 まずは高崎駅からバス30分、下車徒歩35分の 十五番 長谷寺 へ向かう。地方でのバスはいつも本数が不安なのだが(先に電話ででも調べておけば良いのだろうが)、予想よりも便は多く、今日は苦労はなさそうだ。ここはバス停からかなり歩いた。ガイドブックに書いてあった通りのバス停で降りたのだが、その先しばらく歩いて道が分岐する所までに、バス停が2つもあった。バスでそこまで行けたのに。この日も大変暑く、きつい道程だった。
 当初の予定では、一端来た道を戻って高崎駅に戻り、そこからバス1時間の次の 十六番 水澤寺 へ行く予定だったのだが、長谷寺の納経所の人に次の予定を聞かれ、その様に言ったら、もっと良い方法があると教わった。1時間ほど歩くと、その水澤寺へのバスが途中に通過する所に出られると言う。もちろんそれに従い、40分ほど歩き(やっぱり早い)途中の箕郷まで出て、予定よりも一本速いバスに乗ることができた。
 水澤寺は、近くに伊香保温泉があるためか結構有名な所のようで(私は知らなかったが)、そろそろお盆期間と言う事もあり、かなり人が多かった。私は繁華街は好きだが、しかし観光地などであまり人が多いのは好きではない。10分ほどで来た帰りのバスにすぐ乗って高崎まで戻った。


8月16日
青春18きっぷ使用
 さあ、あとは近場(のはず)の房総半島のみである。房総半島の寺は三十三か所のラストナンバーでもあり丁度良いのである。
 京成線で幕張本郷に出て、JRに乗り換えた。千葉から内房線で木更津へ。ここら辺は東京への通勤圏であり、まだ遠くに来た感はしない。ただ、やはりバスは少なかった。さすが千葉といった感じである。目的のバスが来るまで1時間近くも待った。バス25分、下車徒歩10分の 三十番 高蔵寺 へ。やはり千葉、駅前は開発されていてもちょっとバスに乗るとすぐ自然の中であった。
 駅へ戻り、内房線を蘇我でも千葉でもなく、本千葉で降りて、そこですぐ来る外房線の列車に乗って茂原まで行った。ここからは上総牛久駅行きのバスで34分、下車徒歩5分の 三十一番 笠森寺 へ行き、そしてその後はその日のうちにもう一か所、銚子の円福寺へも行くつもりだった。茂原からバスはそう多くはないと思っていたのでわりあい余裕を持って計画を立てていた。が、しかし、それでも甘かった。12時頃着いたのだが、その後バスまで2時間近くもあったのだ。帰りのバスの時間も考えると、とても銚子へは行けない。急遽行程変更を迫られ、バスを待っている間に考えたのだった。
 やっと来たバスも、途中の車庫までしか行かず、そこで乗り継ぎ。さらに悪い事は追い討ちをかけるもので、着いた寺では、ばあさんが朱印に添える訪問日の日付を間違えて書いてしまった。しかもなんとそれを修正液で直したのだ。墨で書いたものに、修正液など似合わないと思う。墨で黒く塗りつぶし訂正する方がよっぽどよい。文句言ってやろうかと思ったが、向こうは問題のあることをしたなんて気は全く無いようで何も言わずに渡してきたので、言う気もなくした。せめて、間違ってしまったことへの謝罪くらいあってもいいだろう。
 しばらく待って帰りのバスが来た。後で考えると、内房線の五井から小湊鉄道で牛久へ出てそこからバスに乗れば予定通り進めていた。いや、それよりも、この付近なら大学から自転車で来ようとしても十分可能だった。
 予定変更して 三十二番 清水寺 へ。そのまま外房線に乗り長者町駅から徒歩50分である。もともとこっちを回る予定にしても良かったのだが、最後の日をせめて三十二、三十三と連続させて終わりにしたかったので次に回していたのだ。考えた末にこっちに来ることにしたのだが、しかしそれでも、駅に着いたのが午後4時20分頃。札所のほとんどは、受付は午後5時までである。すでにガイドブック通りの時間では間に合わない。自分の歩く速さに懸けるしかない。と言う事で急いで行った。早足で歩いても間に合うとは思ったが、不安なので途中しばしば走りもした。結果、4時50分頃には着くことができて、なんとか朱印を頂けた。疲れ果てて駅へ戻り、帰ったのだった。


8月19日
青春18きっぷ使用
 ついに最終日、あと二か所。まずは前回行けなかった銚子の 二十七番 円福寺 である。前回同様幕張本郷でJRに乗換え、千葉駅から総武本線で一気に終点まで。単線区間の長さが悲しい。9時すぎには銚子に着いた。銚子電鉄観音駅下車徒歩2分なのだが、銚子駅から観音駅まではそう距離があるわけでもなく、列車の時間までかなりあったので歩いた。20分もかからなかった。
 無事に寺へ着いたが、またもやそんなに時間はない。帰りはそれから20分弱で銚子電鉄が来るので、急ぎ気味にお参りして、朱印を頂き、駅へ急ぎ、乗った。非冷房車に乗るのは久々だった。銚子駅で総武本線の列車に接続した。わずか1時間にも満たない銚子滞在だった。
 いよいよあと一か所。千葉へ戻り、一路、内房線で那古船形へ。下車徒歩10分、途中の目印である郵便局がどうやら最近廃止(移転か)になったようで、中途半端な後始末がしてあり不気味であった。そしてついに最後の寺、 三十三番 那古寺 にたどり着いた。その時の達成感は何とも言えない。とにかくやり遂げた充実感があった。この寺は、番号通りここで札所が最後になる人には、朱印帳の最後に「結願」の印を押してくれる。また、立派な賞状大の「結願之証」も頂くことができる。ただしこれは志納である。志納とは、志しを納めること、つまりはいくばくかの金額であるのだが、特に決められてはいない。その精神は分かるのだが、結構悩むことである。まさか数百円と言うのも失礼であろう。どのくらいでいいのかを聞いてみたのだが、志で良いと言って一向に教えてくれない。悩みながらもそう金持ちでもないので千円渡し、結願之証を頂いた。
 さて、ここでそうゆっくりしている訳にもいかない。この日は、記念に乗りたい列車があった。内房線特急さざなみ16号は、館山−君津間は普通列車として運行される。18きっぷで特急用車両に乗れるわけである。その列車の時間が迫っていたので、急ぎ足で駅まで歩き、乗った。183系は、もはや特急としてはちょっとグレードが低くなっているが、普通列車としては非常に豪華である。快適に過ごした。(途中で団体が乗ってきたので他の車両に逃げたりもしたが)。君津で降りると、向かい側には接続の普通列車113系がいた。しかし、もう113系には飽きて、あまり乗りたくなかったので、見送った。30分ほど後に快速があったので、しばらく待ち、入線してきたE217系に乗って千葉まで帰ったのだった。


 こうして、私の坂東三十三札所巡りは終わった。西国の時よりも、日帰りと言う制限があったり、交通アクセスが悪かったりして、大変だった感がする(まったく、首都圏とは名ばかりで、ちょっと遠くへ行くとすぐ便が悪くなってしまう。列車の乗り心地も悪いし)。

 旅はこれで終りではない。次は最後の秩父三十三札所。引き続き1999年の秋と冬に2日ずつ、計4日行って一気に完訪を達成した。そして、百観音を完訪した後には、結願の御礼参りとして上田の北向観音と長野の善光寺にも行くのが習わしであり、2000年の1月にそれも無事終了することが出来た。西国三十三も合わせ、今回書かなかったこれらの旅についてもいつか書きたいと思っている。

参照文献:昭文社「旅の森 坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所巡り」